2015年
6月
26日
金
たくさんの別荘が存在する飛騨ですが、ワビサビの美しさを追い求めるオーナーの別荘と言う点においては、私は、大げさではなく飛騨一番だと思います。売り物件となった今現在もオーナーの想いのこもった改修・改修計画が進んでいます。その情熱には本当に驚かされます。美的感覚の優れたオーナーにとって別荘かかわることすべてがアートに繋がるのだと思います。
2015年
5月
20日
水
昨日、田頃家の移築希望の古民家を見てきました。自分的にも現地再生より移築再生、移築して甦る物件だと思います。間口8間、奥行き6間、土台の部分交換、柱の根継ぎ、部分的な根太と板敷きの交換、裏側垂木の取り換えなど必要です。構造的にも意匠的にも優れていると思います。ご連絡お待ちしています。(3間×3間の板倉併設)
2015年
4月
08日
水
現代の方丈庵、板蔵別荘に設えられた露天風呂に浸かる。ただそれだけで所有する喜びがあります。
本物件の詳細は、「藤井喜三郎の庭と板蔵」、「物件情報」で掲載しております。
2015年
3月
23日
月
先日、売却希望の古民家をオーナー立会いの下見せて戴きました。私にとって古民家を見ることは探訪以外の何物でもありません。すべての古民家には歴史があります。その歴史の一端に触れられることが何よりも嬉しいことなのです。
2015年
1月
03日
土
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。一昨年の3月に42年間お世話になった前職を定年退職して不動産屋の看板をあげましたが、未知のことゆえに看板も事業に対する気構えも控えめに始めさせていただきました。不安感先行の開業でした。
しかし、運のいいことに、退職と同時に町内会長を仰せつかり、町内会長と言う「印籠」のご威光の下で思わぬ見分を広めることができました。町内会長を退いてからも続く・続けるお付き合いにずい分助けられています。
三方よしは、売り手よし・買い手よし・世間よし。この近江商人の経営哲学は道徳だとも言われています。還暦から始めた事業を次代に繋げることが私の目標です。
2014年
10月
19日
日
早朝は冷えたけど、穏やかな秋晴れの天気だった今日、高山市旧市街地は観光客多く、安川通の上二之町口は街に分け入る人、分け出る人でごった返していました。
高山市旧市街地の代表格ともいえるこの辺りは同時に観光の目玉、アピール度も高いので観光客は必ず訪れる場所、なので観光地化しています。
観光地化しないで旧市街地の雰囲気を色濃く残しているところは、やっぱり空町辺りではないかと思います。
たぶん道路が狭く住居が密集していたので開発の手から逃れられたのだと思います。
この界隈の趣きを表現する言葉としては適当でないかもしれませんが私はワビ・サビのある街だと思います。
煩わしいことも多々あろうかと思いますが万人好みでないところに魅力を感じます。
2014年
10月
17日
金
国破れて山河在り
城春にして草木深し
高台に位置する古民家は立派な石垣の上にありました。
近くで産出する岩を加工し精緻に積まれた石垣、聞けば石工さんでなく先祖の主が積んだとか、その出来栄え見事としか言いようがありません。
家もおそらく立派のはず。
まさしくその期待どおりの家でした。でも、その姿いつまでも留めることができません。
拝見して「何とかしたい」と強く強く思いました。
2014年
9月
16日
火
古民家が大好きと言って不動産屋をさせていただいています。
さて、私が常々考えていることをお話しします。
その考えはまだまだ具体的なものは何一つありませんが、皆さんにお話しすることによって行動を起こさざるを得ない状況に身を置こうと思います。
古民家に代表されるような昔ながらの建物が新たに供給されていない途切れている現状を考えると、今日、私たちが伝統的建物から受けている良きことを将来に残すことができなくなることは確実です。
でも、それは寂しいことですがしかたないことだと私は思っています。
問題なのは古民家建築に注ぎ込まれている職人の技術、今も受け継がれている技術が失われていく危機に瀕していることなのです。
技術と現場は表裏一体、一方が無くなればその一方も無くなるのです。
ですから現場の確保が急務です。
とは言え、現在の建築に取って替わるような復活を求めているのではありません。
日本の伝統文化の大切な一つを何とか守りたいだけなのです。
そのために何ができるのか考えていきたいと思います。
2014年
8月
28日
木
「田圃なんて、もう・・・」などと、オーナー自ら価値が低くてお荷物的な存在のようなものと発しがちな田畑、へりくだってお話しされている部分も多分にあると思いますが、費用対価や労働対価が低いことに加えて、農地価格の下降で耕作意欲そのものが低下しているのも事実です。
○○ファームと言われるような農業法人が手掛けるいるところは大型機械の導入できるところが主で、耕地整理が進まなかったいわゆる里山農地は耕作放棄地が点在し、今後は、農業従事者の減少・高齢化によって放棄地はさらに増加するものと思われます。
食料自給率の低さやカロリーベースで云々と言われていますが、一番問題なのは長年耕作されてきた土地が荒れて行くことであると思います。
大げさかもしれませんが何か大きなものを失ってしまうような気がしてなりません。
私は、農地の価値は数値では推し量れないものだと思います。棚田を耕作していてそう感じています。
2014年
8月
20日
水
知人が所有する山林に行く途中、林道下の杉木立のなかに小屋がありました。
すでに小屋としての機能はないばかりか、構築物という存在感さえも失いつつある朽ちる寸前の様相です。
何かの目的を持ってつくられた造りの良い小屋、その小屋も役目を終えました。
そして、役目を終えたときから自然に還る準備が始まります。
住居とは違って色々な制約のない小屋、その分、人知れず静かに自然に還ることができます。
2014年
7月
10日
木
荘川で解かれている古民家があります。
古民家を解体廃棄する請負契約を結んだ大工さん、でも、造りの良さに廃棄することを躊躇しオーナーに保存を提案したそうです。
そして、その提案が受け入れられ、いま進められている解く作業、そう、複雑に結ばれた水引を解くような丁寧な作業がすすめられています。
築150年とも言われている古民家はただそれだけで素晴らしいと思います。
どこかの地で再生する日が必ず来ます。その時が楽しみでなりません。
2014年
6月
03日
火
近くの集落で、古民家の移築のための解体作業が進んでいます。
昔は、当たり前に行われていた作業です。
いくらなんでも施主や大工が、将来の移築を想定して家を建てていたとは思いませんが、ひょっとしたら将来移築され誰かの役に立つのでは、と言う可能性までは否定していなかったように思います。
解体廃棄と言う現在の流れは、今の施工方法では無理からぬことで、その意味において、正しい効率的な処理方法であることは確かですが、非常にもったいないことには変わりはありません。
この、古民家は昭和初期の新築ですが、あらわになった構造材に意味のないほぞ穴が見られます。
そう、古材を流用しているのです。
このようなことは民家だけに限らず、城であっても寺社であっても見られることです。もったいないという考えも当然あったでしょうが、同時に、使えるものは使い切るという職人の目利きの現れを感じます。
この古民家は、滋賀県に行くそうです。滋賀県と言えば琵琶湖、湖畔の風景が浮かびます。
願わくば湖畔の緑豊かな地に建ち、飛騨の風土が育んだ、飛騨民家の意匠美を存分に発揮してほしいと思います。
2014年
4月
02日
水
2月13日から古民家のオーナー様と交流を重ね、好感触のなかですすめてきた若いふたりの古民家再生プランは、4月1日深夜の電話で終了となりました。
エイプリルフールであってほしい、でも厳しい現実でした。誰も悪くはありません。いや、オーナー様や周りの方々を変にその気にさせた私が悪いのかもしれません。
ふたりのことを考えると本当に残念でなりません。どうか前向きになってください。お願いします。そして目標に向かってまた一緒にやりましよう。
心に良くないことは重なります。
今日4月2日、小学2年まで通った国府村立冨士小学校唯一の遺構、私たちの心遺産ともいえる講堂の解体作業がいよいよ始まりました。
気にしていたことが始まったのです。
大型機械で殴りつけるような解体かと思っていましたが予想に反して手仕事で始まりました。
「どこかに移築?」喜び勇んで駆けつけ作業員の方に尋ねるとただ分別のためとか、やっぱり壊されるのか・・・・・。
骨組(トラス)バンバンだし、レトロだし、利用する方法ってたくさんあるだろうに・・・・。
と、このように思うこと自体、これが自分勝手の証拠なのですね。
みんなが一生懸命に生きているのですから。
考えさせられた二日間でした。
2013年
11月
21日
木
「白栗という姓を名乗る男はこの世で自分だけになってしまった」が大きなきっかけでした。
甲斐性仕事なら何でもこなし超頑健な父親が亡くなり、父親似で腕利きの左官職人の兄までもが56歳で亡くなりました。二人ともすい臓ガンでした。特に兄が亡くなったのが大きな要因です。
私は岐阜県警察官として42年間勤務させていただきました。この間多くの方に支えていただきましたが、父親と兄の支えなくては今の私の環境はあり得ませんでした。「白栗」を背負って生きた二人のようには到底できませんが、せめて後悔しない生き方をしよう。そしてそれは「白栗と言う名を残す」という考えに至りました。
白栗家はもはや血筋は途切れていますが、墓地に40体に及ぶ五輪塔があるほどの古い家系です。叶わぬまでもそんな古くからある名をのこす手立てとして「白栗不動産」と言う名で起業したのです。
私の今の状況は、若い方から見れば「いいおじさんが年甲斐もなく」でしょうし、私より年配の方から見れば「まだ若いからやれるんだねえ」でしょう。身勝手かつ都合よくご年配目線を頂戴して、どこまでできるかわかりませんが「急がず休まず」やっていきたいと思います。
初ブログ興奮気味で長くなり恐縮です。読んで頂きありがとうございました。