「米作りは一番楽や」と、農業に携わる方でなくとも一度は耳にした言葉だと思います。
理由の一つには、機械化による人力作業の軽減があります。が、機械作業以外にも体を使うことが結構あって大変です。農作業に楽はないと言うこと、長く農業をやってこられた方の手を見れば分かります。
私の米作りは、兄が亡くなってからから始まり、今年で7年目になります。
見様見真似の、優柔不断的農作業の域から依然として抜け出せてはいませんが、それでも、自分なりに作業効率アップを試みるなどして上手になってきたな~と思っています。
この時期になるといつも考えることがあります。
私も農家の次男坊ですので一通りの農作業経験はあります。が、そこはやっぱり次男坊的で、農作業を深いところまで考えてはやらず、流す流れるだけの手伝い農作業でした。
所帯を持ってからはなおのこと、収穫時のおいしいとこどりに終始していました。
そんな状況ですから、体を使ってものを得る喜びからはますます遠のき、貰えるのが当たり前と言うような横着な考えが定着してしまいました。
そんな時に兄が亡くなったのです。
米作りをしなければならなくなって、やっとで心の底から貰ったコメの有難さが分かるようになりました。
今日は本家の田んぼ作業、雨の中で畦草を刈り、元肥を入れ、代かきをしてきました。カッパからケツ(失礼!お尻)に浸透する雨水は冷たく感じましたが、あまり気にならず作業を終了しました。
今は、子供夫婦や孫たちにうまいコメを届けようと米作りをしています。
父も兄もそのように考えて米作りをしていたと思うと熱くなります。
うまそうに食べてくれる顔を思い農作業にいそしむ、農業の素晴らしいところはその辺りにあるのだと思います。また、そんな農業が、日本の伝統的な集約農業の素晴らしい点でもあると思います。
およそ五日後に田植をします。
米作りの大きな区切りです。終われば、やっと一息つけます。